2015年3月14日土曜日

「ここにいることの不思議」 (宮野真生子准教授)

「教員記事」をお届けします。第二一回は哲学の宮野真生子先生です。



「ここにいることの不思議」


 福岡にやって来て6度目の春を迎えようとしています。

 2010年の春、初めて関西を離れ、福岡に越してきたときのことを私は今もはっきりと思い出すことができます。薬院駅の前に立って、「変な高架だなぁ」と西鉄の駅を眺めたこと、六つ角の渡り方がわからず混乱したこと、なによりも耳に入ってくる言葉の響きが違うことに少し淋しくなったこと。最初の1年目は、ただただしんどかったというのが、率直な感想です。けれど、今の私は、グチりたいときに一人で行ける飲み屋もいくつかでき(これが私にとって最重要課題)、福岡という街を「ホーム」と思えるようになってきたと感じています。それでも時々、文系センター棟を眺めたときに、街を歩きながら「天神」や「大橋」といった地名が載った道路標識を見たときに、あるいは慣れた口ぶりで「酢もつ一つください」と注文したときに、「なんでここにいるんだろう」と強く感じることがあります。

 「なんでここにいるんだろう」という想いは、私にとって子どもの頃から慣れ親しんだ感覚の一つです。といっても、引っ越しを繰り返してきたとか、不幸な生い立ちだったとかそういうわけでは全くなくて、ごくごく普通の家庭に生まれ、祖父母両親のいる持ち家で暮らし、京都に移ってからも、親しい人たちに囲まれて暮らしてきました。この感覚はそういう事実的な事柄とは関係なしに、哲学ふうに言うならば人間の「根源的な感情」としてある。そのことを、私は九鬼周造という哲学者を通じて学びました。

 九鬼周造は、1888(明治21)年、有能な官僚であった九鬼隆一と祇園で舞妓の見習いをしていた波津子の四男として東京に生まれました。父隆一は慶應義塾で学んだ後、文部省に入り官吏となった人です。隆一は元々幕府側の藩士でしたので、外務省や内務省、軍関係といった薩長閥が占めている役所ではなく、文部省という比較的地味な官庁に入ることで、出世を狙ったと言われています。はたして、その通りに隆一は出世します。最も有名な彼の業績は、近代日本における「美術」行政の基礎を作ったという点です。岡倉天心を見いだし、岡倉とフェノロサの三人で日本の美術の基礎を築きました。しかし、この岡倉との出会いは九鬼家に大きな禍根を残すことになりました。隆一の妻であり、周造の母であった波津子が、岡倉と不義の恋に落ちたのです。その頃、波津子はちょうど周造を妊娠していた頃でした。この二人の恋は岡倉家・九鬼家を巻き込んだ騒動となり、母は父と別居し、周造は母とともに根岸の家で暮らすことになります。結局、岡倉と母波津子の恋はうまくいくことはなく、ついに母は心を病み、病院に閉じ込められることになったのですが、このことを九鬼周造はたった一言、「複雑な感情を残した」と語るのみです。しかし一方で、九鬼は岡倉を恨んでいたというよりも、父が岡倉と出会ったことで生じた一連の事柄をどこか客観的に見ていたふしがあります。九鬼は「岡倉覚三氏の思い出」というエッセイで、子どもの頃、岡倉と出かけた際に茶屋の女将に「お父様によく似ておいでですね」と言われたということを記しています。どこかで九鬼は岡倉と波津子の子どもだった自分、ということを夢想していたのではないでしょうか。父隆一と母波津子の出会いは、祇園のお茶屋で、まだ舞妓にもなっていなかった手伝いの身分にすぎない波津子を父隆一がたまたま見初めたと言われています。ほんの偶然の出会いにすぎません。さらに出会ったとしても、隆一にそこまでの力がなければ、波津子と結婚することは難しかったでしょう。また、結婚したとしても、体の弱かった波津子が無事に周造を産めたこと自体、とても奇跡的なことです。一方、波津子と天心の出会いがもう少し早ければ、隆一が波津子からの別居の申し出に応じていれば、本当に天心が周造の父だったこともあり得たかもしれません。こんなふうに考えることは、ただの可能性をもてあそぶ夢想なのでしょうか。目の前の現実は起こってしまったこと、そのたった一つなのだから、起こらなかった可能性を仮定することなど馬鹿げている。たしかにそれは真っ当な考えかもしれません。けれど九鬼は、『偶然性の問題』という本のなかで、目の前の現実だけを見る生き方を硬直した、つまらない生き方だと切り捨てています。むしろ、可能性と偶然性のなかで今の現実を見ること、そうすることで、今の現実がイキイキと感じられると彼は考えるのです。
 なぜ、可能性と偶然性のなかで今の現実を見ることが大切なのでしょうか。一見すると、今の現実を「他もあり得た」と考えることは、目の前の事柄から逃避しているような、それを軽んじているように感じられます。しかし、それは違います。逆説的に聞こえるかもしれませんが、可能性と偶然性を背景に、現実を見るとき、私たちは「今ここでこうしていること」の不思議を感じることができ、その不思議さ、奇跡性に気付くことで、目の前の現実の大切さに気付くからです。たしかに天心と波津子の恋の背後には、二人が出会わなかった可能性や、すれちがった可能性など、たくさんのそうはならなかっただろう可能性があります。しかし、現実には出会ってしまった。しかも、それは奇跡的な確率です。そもそも、隆一と波津子が出会わなければ、波津子は東京に来ることはなかったわけで、さらに隆一と天心も互いに文部省に入ることがなければ、出会うことはなかった。無数の偶然的な出会い、可能性の上に成り立っているのが二人の恋です。なにかが少し違えば、別のかたちもあり得た。それは、いま私たちが立つ現実にも言うことができます。もし、あのとき福大に願書を出していなければ、あの日風邪をひいていなければ、あるいは、入試の前の日に、あのページを復習していなければ・・・。私たちの現実の周りには、無数の「もし」があります。そんな無数の「もし」をくぐり抜けて、私たちの今がある。その奇跡的な有り様を九鬼は『偶然性の問題』のなかで明らかにしたのでした。

「なんでここにいるんだろう」という想い、それは、世界が別のかたちでもあり得るという感覚です。それは決して、ネガティブなものではありません。私が薬院六つ角に立って「なんでここにいるんだろう」と呟くとき、そのあとには「人生ってわからないなぁ、だから面白いな」と思うのですから。


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