2015年1月1日木曜日

多数決で決めたのに不満をもつひとが過半数?! (平田暢教授)

みなさま明けましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2015年最初の「教員記事」をお届けします。第十七回は社会学の平田暢先生です。





「多数決で決めたのに不満をもつひとが過半数?! (平田 )」



 明けましておめでとうございます。2015年が、特に文化学科を志望する受験生の皆さんにとって良い年になりますように。
 昨年末には衆議院の総選挙が行われました。結果や投票率など色々考えることがありそうですが、ここでは社会的な意思決定の方法という視点で選挙を考えてみたいと思います。
 1人が1票を投じてもっとも得票の多かった候補を選ぶ、という方法は今の私たちには当たり前すぎて、方法として改めて考える機会は少ないように思います。ところが気をつけてニュースなどを見ていると、そうではない方法も見られます。オリンピックの開催地を決めるIOC総会の投票では、得票が過半数に達する候補地が出るまでもっとも得票の少ない都市から脱落させて投票を繰り返す、という方法を取りますし、バチカンの法王選挙であるコンクラーヴェでは、法王候補でもあり投票者でもある枢機卿たちが、誰かが過半数の票を獲得するまで互選を繰り返します。また、歴史上もっとも長く続いた共和国である、ヴェネツィア共和国の元首選挙は、投票とくじを組み合わせるという、びっくりするくらい煩瑣な手続きで行われていました(詳しくは塩野七生さんの『海の都の物語』をご覧下さい)
 1人が1票を投じて決めるという基本は同じでも、そのやり方を変えると結果が変わる、ということが理解されているということだと思います。どのような投票が望ましいのかある種の理想があり、その理想に基づいて投票の方法が決められていると考えた方が良いかもしれません。この理想は1つとは限りません。投票者の意思や選好(少しなじみのない言葉ですがpreferenceの訳で、好んで選ぼうとする欲求のことです)を投票の結果にどのように反映させるか、ということに変わりはなくとも、たとえば最大の満足を得る人をもっとも多くすべきと考えるか、最大の不満を持つ人をもっとも少なくすべきと考えるかで投票の方法は変わってくると予想されます。さらに掘り下げて考えれば、投票そのものを否定するということもあるでしょう。
 方法である以上、投票には欠点や問題、落とし穴があってもおかしくはありません。投票にかかわるパラドックスは複数指摘されていますが、その中に、

「多数決で可否を決めたにもかかわらず、過半数のひとが不満をもつ」

というものがあります。一見すると決してあり得ないことのように思えるのでインパクトがありますね。このパラドックスは厳密に言えば代議制と直接民主制の齟齬にかかわっているのですが、「Ostrogorskiのパラドックス」(オストロゴルスキーと発音するようです)と呼ばれています。
 再現してみましょう。いま、X氏、Y氏の2人の候補者がおり(政党が2つあると考えても良いでしょう)、選挙に当たって争点となっているのはα、β、γの3つの政策であるとしましょう。政策としてX候補は3つの政策をすべて推進すること(賛成)を、Y候補はすべてに反対であることを表明しています。賛成を○、反対を×で表すと下記の通りになります。

             政策α   政策β   政策γ
        X候補      ○     ○     ○
        Y候補   ×      ×     ×

 他方、有権者は3つの政策それぞれについて賛成、反対の意見を持っています。政策への賛否の組み合わせから有権者には4つのタイプがあるとしましょう。各タイプは自分の意見により近い候補者に1票を投じるはずです。たとえば、全体の23%を占める、政策αには反対だが政策βと政策γには賛成の有権者(○と×で表すと「×○○」になります。TypeⅠとします)は、自分の意見に近いX候補に投票すると予測できます。他にも3つのタイプの有権者がいて、各タイプの政策への賛成、反対と構成比率は下記の表の通りだとしましょう。
 このような状況において、投票の結果どちらの候補者が当選するか考えてみると、TypeⅠ、TypeⅡ、TypeⅢの有権者はいずれも2つの政策に賛成していますので、X候補に投票すると考えられます。他方、3つの政策すべてに反対のTypeⅣの有権者は当然Y候補に投票するでしょう。その結果、当選するのは合計70%に達するTypeⅠ、TypeⅡ、TypeⅢの有権者の支持を得たX候補ということになります。得票率70%は圧勝と言えます。



 つぎに、候補者ではなく各政策について住民投票のような直接投票が行われた場合、賛成、反対がどのようになるか見てみましょう。政策αは、TypeⅡとTypeⅢの有権者が賛成していますが、合計53%に達するTypeⅠとTypeⅣの有権者は反対することになるので、結果は否決ということになります。政策βと政策γについても同様で、結果はやはり否決されることになります。
 つまり、候補者(あるいは政党)の選挙においてはすべての政策に賛成の候補(政党)が圧勝したにもかかわらず、争点になったすべての政策については過半数が反対、ということが起こっているのです。そのため、多数決で決定したにもかかわらず、過半数のひとが不満を持つことになるのです。
 無論、選挙をすると必ずこのようなことが起こると言っているわけではありません。しかしながら、数理的にこの現象を分析してみると、仮に100%の支持率で当選したとしても過半数の政策について過半数の有権者が不満をもつ場合や、80%の支持率で当選したとしてもすべての政策について過半数の有権者が不満を持つ場合があることが指摘されています。おそらく現実にも起こっているはずです。ここまでの話は投票率100%を前提としていますが、投票率が下がると、その場合はパラドックスとは言えなくなるでしょうが、当選した候補者の政策に有権者の過半数が不満を持つ可能性は高まるでしょう。
 個別の政策の是非を直接問う住民投票が行われることが実際にも度々あります。首長や代議員を選んだ後に新たな問題が発生したケースもあるでしょうが、背景にOstrogorskiのパラドックスが存在するケースも多々あると考えられます。住民投票は、候補者や政党を選ぶ場合と異なり、個々の政策や争点について決定を下せますし、首長や代議員の当選は、選挙時に掲げられた政策に対して必ずしも白紙委任状が与えられた訳ではないことの確認になります。そのような意味で住民投票には大きな意義があると考えられます。
 十分な議論が困難といった直接民主制の抱える問題は措くとして、政策ごとに投票すればOstrogorskiのパラドックスは回避できるか、というとそう単純でもありません。特に大きな政策には、政策を支える下位の政策や争点が存在します。たとえばアベノミクスにおいては、「三本の矢」と呼ばれる、①金融政策、②財政政策、③成長戦略がそれに当たります。前述の表に従って、例えばTypeⅠの有権者は①には反対だが②と③には賛成で・・・と考えていくと、直接投票の結果アベノミクスは7割から支持されるものの、アベノミクスの個別の政策に対しては過半数が不満を持つ、ということが起こりえるのです。
 1人が1票を投じて決める、という方法がうまく機能するのは割と大変で難しいことなのですね。
 今回は投票に注目しましたが、他の事柄についても“方法”という視点でいろいろなものを見てみると様々な発見があると思います。ある種の結果や新しい事実、独創的な理論などを目にすると、私たちはついその結果、あるいは成果にばかり目がいきます。その際に少しでも方法への関心を持ち、「どのようにして」と考えることができれば、それが大学で求められる知的好奇心の1つのあり方になるのではないか、と思う次第です。

引用・参考文献

佐伯胖,1980,『「きめ方」の論理』,東京大学出版会.
塩野七生,1980,『海の都の物語-ヴェネツィア共和国の一千年-』,中央公論社.

与謝野有紀,1997,「代議制における投票のパラドックス-オストロゴルスキー・パラドックスの成立可能性について-」,岩本健良(),『社会構造と社会過程のフォーマライゼーション』,pp.173-186,科学研究費成果報告書.

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