2014年6月14日土曜日

授業紹介:文化学基礎論(宮野真生子先生)

 こんにちは、文化学科で日本の思想を教えている宮野真生子です。今日は、文 化学科のちょっとユニークな講義をご紹介します。

 それが、「文化学基礎論」という一年生全員が必ず受ける必修の講義です。この講義は、大学に入ったばかりの学生さんたちに、文化学科で学ぶ内容の全体像 をイメージしてもらうために、さまざまな問題を色々な角度から掘り下げてゆくことを目指しています。担当は宗教学の小笠原先生で、今年のテーマは「人生に価値を与えるものは何か」。他の専門の先生をゲストとして招きつつ、学生さんたちと議論をしながら双方向の講義がおこなわれています。

 さて、6 月 12 日(木曜)の講義は、ゲスト登場の回でした。「人生」を考える ためには、そもそも「人間とは何か」を考える必要があるということで、「人間と他の動物の違い」をテーマに近代西洋哲学がご専門の平井先生が登場し、この記事を書いている宮野と、小笠原先生の三人も議論に参加しながら、

「生命維持に必要じゃないのに、衣服で着飾るのは人間だけじゃないのか?」
「火を使うのは人間だけっていうけれど、本当にそうだろうか?」
「自分の死を抽象的考えて恐怖するのは、人間に知性があるからか?」

などなど、一年生の皆さんからさまざまな論点が飛び出し、それがどんどん繋がって、議論が展開していく、とても楽しい時間になりました。
 授業を受けていた学生さんも、複数の教員を交えた刺激的な議論に、いつもにもまして知的好奇心を刺激されている様子でしたよ。


宮野真生子准教授

2014年6月10日火曜日

異文化の接触地帯インナーモンゴリア(磯田則彦教授)

「教員記事」をお届けします。第四回は地理学の磯田則彦教授です。



異文化の接触地帯インナーモンゴリア

 こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフステージの要所要所で移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」。以前から、そんなことが気になってしまいます。
 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。

 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては文化学科に所属し、専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行う中で身近になってきた分野と言えるかもしれません。今回は、私のフィールドの中から「インナーモンゴリア」について簡単にご紹介させていただきます。

 ご存じのとおり、インナーモンゴリアは中国とモンゴルの国境地帯のうち中国側を指す地名です。人口はおよそ2,500万人で、8割近くが漢族、2割弱がモンゴル族という人口構成です。面積は日本のおよそ3倍という広大さです。このアーティクルをご覧の皆さんにとっては、「大草原の広がる牧歌的な雰囲気」が想像されるのではないでしょうか。


 ただ、実際に訪れてみると、そこには大草原もあれば、大きな山脈や複数の(日本人の私にとっては広大な)砂漠、大河も存在しています。一方、中心都市の呼和浩特は、モンゴル語で「青い城」を意味する(路線バスには「青城」の2文字が躍っています)、近代的なビルが林立し、非常に立派な空港・博物館などを有する大都市です。そして、この街の至るところに見られる漢字とモンゴル文字併記の看板や、チベット仏教の寺院、回民たちが建てたイスラム様式の建築物などに異文化の接触地帯としての一面を見てとることができます。




ところで、みなさんはモンゴル文字を見たことがありますか?なかなかユニークで、素晴らしいですよ。現地のモンゴル族の方たちは、文化的なアイデンティティが失われていくことを危惧し、自己の文化継承を強く意識して、お子さんたちの学校教育においてモンゴル語や文字が学べるところを積極的に選択する方が多く、かなり遠方にある学校まで親御さんが送迎されています。このようにして、文化が継承されているのですね(ご家庭は言うに及びませんが)。

さらに、ここの食文化も接触地帯としての特徴をよく表しています。ナイチャーと羊肉料理に代表されるモンゴル料理に、北方を中心とした漢族の料理が加わった構成です(注:そもそもナイチャー自体がミックスされたものですが)。いずれも絶品です。
 
ところで、言われてみればすぐに気づくことなのですが、このインナーモンゴリアは長城の外側に広がっています。周知のとおり、長城は秦代以前から築きはじめられた北方騎馬民族に対する漢族の防衛ラインです。悠久の歴史を思い描いた時、このラインを挟んだ内と外でどのようなドラマが繰り広げられてきたのでしょうか。「ワン・ジャオジュィンの物語」を思い起こされる方も多いはずです。さまざまな形態が見られるはずですが、「文化の融合」ということを強く意識せずにはいられません。


 大草原には羊の群れが遊び、ヒマワリたちが咲き誇る季節。地平線が見えるこの広い広い大地では、どこに雨雲があって、どこで雨が降っているのかも一目瞭然です。この異文化の接触地帯の大自然と人々の思いを載せた、マートーチンが奏でるドゥドゥマーの歌を聴きながら大草原を駆け抜けていく。私にとって、現在、最高のフィールドです。(終)


2014年6月2日月曜日

わたしたちの文化学科を紹介します!(LC13和田捺希さん)

学生さんによる記事です。今回は2013年度入学の和田捺希さんによる記事をお届けします! 


 初めまして!文化学科2年の和田です。高校生活も落ち着き、次の大学のことについていろいろと思い悩んでいる頃かと思います。福岡大学と一口にいっても学部学科が多く、よく分からない人も多いでしょう。その気持ち、よくわかります!かつての私もそうでしたから(笑) 学科が違うだけで、全くやることが違います。学科のミスマッチを防ぐためにも、自分が学びたい学科かどうか十分に吟味することをお勧めします。私の話が学科選びの参考になっていただけたら幸いです。

 突然ですが、皆さんは文化学科と聞いて何を想像しますか?西洋や欧米、アジアといった異国の文化を勉強できる学科?それとも日本の文化を勉強できる学科?うーん、福岡大学の文化学科は少し違います。福岡大学の文化学科は、もっと広い意味での「文化」を扱う学科です。

 そもそも文化とは、民俗や地域の固有の文化だけではなく、「民俗や社会の風習・伝統・思考方法・価値観の総称で、世代を通じて伝承されていくこと」を意味します(大辞泉第2版より)。文化を勉強するにはひとつの学問分野だけでは足りません。様々な分野の学問が重なり合って初めて文化が勉強できるのです。ですから、文化学科には様々な種類の分野の学問を学べます。大学に入って様々な分野の学問に触れた後に自分が興味のある分野を見つけ、専門として選ぶことができるのです。自分に合う分野、合わない分野を実際に学んでみてから専門を選べるので、今何を勉強したいかわからない、いろんなジャンルの勉強をしてみたいという方は特におすすめです。具体的にどのようなことが勉強できるかという詳しい話は、「文化学化って?」というページをご覧ください。それでは、あなたにとって素敵な大学生活が送れますように。

LC13台 和田捺希

2014年5月31日土曜日

大学とは何でしょうか?(岩隈 敏教授)

「教員記事」第三回は、西洋哲学の岩隈 敏教授です。


 共通教育科目「哲学」の私の講義は、大学が誕生した時のその理念と、大学の歴史について話すことから始めます。

 大学とは何であるか?そこではどういう教育が行われたのか?それを考えることによって、新入生諸君に大学生としての自覚をもって欲しいと願うからです。

 大学の起源は中世のヨ-ロッパにあります。大学は教師と学生の、一種のギルド(同業者の自治団体)として発足しました。イタリアのボロ-ニャ大学は1088年、フランスのパリ大学は1150年ころ、イギリスのオックスフォ-ド大学は1167年、ケンブリッジ大学は1318年に創設されています。

 大学設立の目的は何だったのでしょうか?それは、聖俗の外部権力に対して、真理を探求する学問の自由という特権を確立するために、闘争することでした。それと同時に、内部では、共通のカリキュラムを定め、所定のカリキュラムの修了者には学位(doctor)を認可することでした。

 学問の自由を抑圧しようとする聖なる外部権力はキリスト教会です。聖書の記述に反する学問的な主張は教会によって弾圧されました。ガリレオはコペルニクスの地動説を支持して宗教裁判にかけられました。学問の自由を抑圧しようとする俗なる外部権力は政治権力、つまり国家です。太平洋戦争中、治安維持法によって左翼思想が弾圧されたことは記憶に新しいところでしょう。宗教権力、政治権力は、いつの時代にも、学問の自由をいろんな形で抑圧し、拘束してきたのです。

 大学の学部構成と教育内容は、どのようなものだったでしょうか?大学は、予科的な学芸を教える哲学部と、専門教育を行う神学部、法学部、医学部(すべての大学がこれらの全学部を揃えていたわけではありませんが)から構成されました。

 哲学部は、教養を身につけるための学部であり、専門の三学部の基礎教育を行いました。学生達は哲学部を修了してから、各々の専門学部に進学したのです。そして、学位授与権を持つのは専門学部だけであって、哲学部は専門学部でないことから、授与権をもっていませんでした(ドイツ系の大学で哲学部が学位授与権を獲得するのは、驚くことに、19世紀になってからのことです)。

2014年5月19日月曜日

授業紹介:基礎演習Ⅰ、Ⅱ(LC11坂本敬佑くん)

学生さんによる記事です。今回は2011年度入学の坂本敬佑くんによる授業紹介をお届けします! 


 始めまして、文化学科四年生の坂本と申します。
 
 大学が高校までと大きく異なるのは自分でオリジナルの時間割を組めるということです。「この講義興味あるな、でもあの講義と時間が一緒だ、どうしようかなぁ」と、興味のある講義を友達とあれこれ相談しながら組むのも大学生の一つの醍醐味ですね。

 しかし、全部がそうではありません。各学科では「必修」という形で必ず受講する科目があります。文化学科の一年生は英語や第二外国語、「文化学基礎論」「文化学研究法」という講義のほかに「基礎演習」というものが必修科目に設定されています。

 おそらくこの「基礎演習」が大学と高校の最も違う点だと思います。たとえば
 ・少人数で行う(多くても13、4人)
 ・自分で考えをまとめてみんなの前で発表し、議論する
 ・教員より学生が主体となって運営する
といったことがあります。ちなみに基礎演習は「Ⅰ」、「Ⅱ」と別になっていて、学生のメンバーは同じですが、教員は前期と後期で変わります。私は前期を哲学の岩隈敏先生、後期を社会学の平田暢先生の下で学びました(詳しくは教員紹介のページをどうぞ)。

 基礎演習の運営は各教員によって微妙に異なっていますが共通しているのは「次年度以降の下地作り」という点です。2年生以降では「文化学演習」と言って自分の興味関心に応じて演習を選択することができますが、全くの基礎体力なしで専門的に学ぶのはとても大変です。その準備段階として基礎演習が位置づけられています。ちなみに私は前期に「若者の友人関係」に関する新書を3冊読み読書の基礎体力、後期にはクリティカルシンキングという思考方法を知り、物事の批判的な読み取り方について学びました。

 ……こう書くととても大変なように聞こえますが、基礎演習は思っている以上に刺激的な体験です。学生同士が議論しあう場になるので、お互いに伝えるための力が必要になります。これは相手を言い負かすということではなく、自分の考えを相手に理解してもらうためのことです。簡単なようでなかなか難しいことなのです。しかし、そのための基礎演習なので心配することはないです。そうして相手に理解してもらえたときはとても達成感を感じられます。

 また、10人強の少ない人数の中で学ぶので自然と友人も作ることができます。大学は高校のようにクラスがないので友人関係が流動的になりがちですが、こんな風に文化学科ではゼミを通して友人を気軽に作ることもできます。

 そうして基礎体力を身に着け、2年生以降ではいよいよ専門のゼミで学ぶことになります。

LC11台 坂本敬佑

2014年5月15日木曜日

目に青葉 山ホトトギス 初がつを(石田 和夫教授)

「教員記事」第二回は、中国思想の石田 和夫教授です。



 もう十年以上も前のことである。目の前に聳える油山が山火事に襲われた。大学側から見えるかなりの部分の樹木がこれによって失われ、いわゆるはげ山の状態がそれからしばらくの間つづいた。しかし今これを仰ぎ見るに、その痕跡はつゆも認められず、山は樹木に覆われ、山全体に青々とした緑が光り輝いている。自然の生命力の強さと美しさ、これを目の当たりにして思わず冒頭の一句が口を衝いて出た。

 美しい緑といえばもう一つ、どうしても忘れられない話がわたしにはある。それはある雲水(行雲流水という言葉の略で禅の修行僧の呼び名)の次のような体験談。禅宗には庭詰という儀礼があるが、入門者はまず禅堂の玄関先で終日頭を下げてひたすら座り.願心の強さを示して入門の許可を得なければならないのである。大方の場合入門の許諾については、当事者同士であらかじめ話はついており、そういう意味で形骸化した儀礼なのだが、決まりがある以上仕方がない。クリアしないわけにはゆかないのである。早朝からこの儀礼に挑戦し始めた彼。時間はなかなか経たないし、窮屈な姿勢は次第に身体を痛めつける。見るな、しゃべるな、聞くな、一切の自由を奪われ、身心ともに極限状態に至らんとした夕暮れ時、彼の目にふっと飛び込んで来たのが傍らに生えた雑草。普段見向きもしないありふれた雑草。その緑のあまりの美しさに彼は思わず息をのんだという。これが禅で言うところの覚りなのか、その辺の事情は定かではない。しかし忙しさにかまけてついついやり過ごしてしまう日常のありふれた事柄、その一つ一つの中にこそ、かけがえのない価値が含まれている、そのことにあらためて気づかされるのが禅の教えの一つの効用であることだけは間違いない。「平常心是道」なる禅語もその意味するところはほとんどこれと異ならない。

 さてその禅であるが、日本で最初に道場が開かれたのは実はここ福岡の地。地元の人でもこの事実はあまり知られてないようだが、地下鉄祇園駅からほど近いところに建つ聖福寺がそれであり、境内に入ると後鳥羽上皇の手になる「扶桑最初禅窟」の文字が彫り込まれた扁額が山門に高々と掲げられている。開山は宋から帰国したばかりのあの栄西。以降数々の名僧を生んだ古刹であるが、なかでもひときわ名高いのが江戸期に活躍した仙涯義凡。仙涯さんの呼び名で博多の庶民に親しまれた仙涯は数多くの書画を今日に残している。アザラシであったり、蛙であったり、選ぶ題材は自由自在。おおらかな画風は見るものの心を強くひきつけてやまない。この仙涯の書画、日本初のコレクターが実は、『海賊と呼ばれた男』(百田尚樹)の主人公出光佐三。学生時代から仙涯の書画の収集を始めたという佐三はその後も収集をつづけ、ついには日本一の仙涯収集家に。門司港レトロ地区に移転した出光美術館。こんにちこれがその収集品を引き継いでいる。

 行楽にはもってこいの時候。門司港は少し遠いかもしれないが、たまにはスマホを家に置き、ときには油山や聖福寺の散策に出かけてみてはどうだろう。博多で育まれた文化がくたびれかかった現代人の心を、多少なりとも癒してくれるかもしれない。

 油山の緑は輝いてますか。


 新緑の頃                   文科学科 石田和夫

2014年5月7日水曜日

東京・大阪に就職支援サテライト開設

就職進路支援センターからのお知らせで既にご存じかも知れませんが,東京・大阪で就職活動に奮闘する福大生を支援するために,新宿・梅田に福大生の就職支援施設が開設されました。

それぞれの施設には,更衣室,コピー機,インターネット環境が整っており,携帯電話の充電や荷物の預かりサービスも行っています。

東京・大阪方面で就職活動を行っている4年生の皆様,是非ご利用下さい。
※ 利用の際には 学生証を呈示して下さい。

〇福岡大学東京サテライト

東京都新宿区西新宿1-22-2新宿サンエービル1階
  JR新宿駅南口出口 東京都庁方面へ徒歩5分

〇福岡大学大阪サテライト

大阪市北区堂山町3-3 日本生命梅田ビル7F
  JR大阪駅・阪急梅田駅より徒歩7分

東京・大阪サテライト開設