今回の執筆者は、2012年度入学の小倉望未さんです。
はじめまして! 文化学科四年生の小倉望未です。今回は文化学基礎論の授業に潜入して、その模様をお伝えしようかと思います!
文化学基礎論は、文化学科に入学した一年生が必ず受講する講義です。今年度の担当は小笠原史樹先生です。ただ、先生の講義を聞くだけではつまらない!ということで(勿論、小笠原先生の授業はとっても面白いんですよ! 嘘じゃないですよ!)、度々ゲストの先生が招かれます。今回は宮野真生子先生がいらっしゃいました。大学の講義で、ふたりの先生が登壇されるというのは四年生の私にとって初めての光景です……! なんと贅沢な! 今年の一年生はとてもラッキーなようです。
宮野先生は二回目の登場です。一回目の講義で、先生は九鬼周造やプラトン、漫画の『ストロボ・エッジ』を用いて、「恋をする、というのは、欠如を埋めようとすることだ」ということを言われました。今回の講義はまず、「本当に恋をするというのは、欠如を埋めるだけ? それだけ?」という問題提起が行われ、小笠原先生の講義からスタートしました。
先生の講義を簡単にまとめてみました。
恋愛の神であるエロースは、「美しい!」と言われている。しかし、と、ソクラテスは言う。エロースは美しさを求めている。エロースが既に美しいのであれば、エロースは美しさを求めない。すなわち、エロースは美しくない。ここからわかるのは、もし完全な存在がいるなら、その存在は何も欲しない、恋をしない、愛さない、ということだ。アリストテレスは神を、不動の動者であると言った。人から愛されるが、神は人を愛さない。ただ、「愛される者のように動かす」のだ。
しかし、聖書には神が世界(人間)を愛する描写がある。この愛を古代ギリシャ的エロースでは説明できない。実は、「愛される者のように動かす」という表現にはエロースが元のエローメノンというギリシャ語が用いられているが、聖書の中で人を愛するとき、ギリシャ語ではアガペーが使われている。完全である存在が愛するとき、その愛は欠如を埋めようとするものではない。では、その愛とは何なのか?
またひとつ、疑問が生まれたところで質問タイムが挟まれました。ここではエロースとアガペー、その言葉の意味について質問が集中しました。「アガペーは、戦国時代には大事や大切というように使われていて、今は愛と訳されている。与える愛、ともよく言われているが、それだけでは不十分……」と、アガペーが掴みきれぬまま、宮野先生、そして生徒が参加しての全体討論へ移ります。
さっそくひとりの手が上がります。「母性愛はエロースとは違う、母から子にあたえる無条件の愛だ」という意見が。それに対して宮野先生、「母性愛もエロースで説明できるんじゃない? 『子供が欲しい!』ってよく聞くし、欲しいってことは欠如を埋めようとしてる」と反論。さらに、「神から人ってそれぞれのレベルが違う。人が動物を愛する、みたいなもの。その愛はエロースっぽい」と、新たな視点を加えられました。続いて、「だめんず」を好きになってしまう女子、の話を引き合いに、「完全だからこそ欠如を求めるのでは?」という意見がでました。欠如があるから完全を求め、完全だと欠如を求め……と、イタチごっこが行われているような……。
「自分が作ったものに対する愛、愛着はアガペーなのでは?」という意見がありましたが、神は人を創っているので、頷けます。すかさず宮野先生が「恋愛にも愛着はあるよね」と。恋愛関係はふたりで作ったもので、そこに愛着が生まれることはある、それもアガペーなのでしょうか?
愛着と違う視点で、自分が関わっているから愛する、自己愛も登場しました。やや面倒くさそうに「自己愛がでると、なんでもかんでも自己愛になってしまう……」と言う小笠原先生に対し思わず私の声が出ました。
「でも、目の前で人が溺れていたら、なにも考えず飛び込みません? 自己愛なんて考えます?」
「僕は泳げないので飛び込みません」
「跳び込まなくても何かしらはしますよね?」
「します。けど、それは自分の社会的責任を考えたからそうします」
「人が目の前で流されてるのに、社会的責任が……なんて考えますかね。そこは本能というか」
「社会的責任は刷り込まれているんですよ」
……。私が川で流されて小笠原先生に助けられても、お礼は言いたくないなと思いました。
というわけで、今回の文化学基礎論は、エロースは欠如を埋めようとするもの、アガペーはアンパンマン、という結論で幕を閉じました。
久しぶりに朝の9時から教室で着席をし、講義に臨みましたが、眠気も吹き飛ぶスーパー面白い講義と、大きな教室で臆することなく手を挙げる後輩の瑞々しさに触れ、もうすっかり大学がマンネリ化した四年生にとってとても充実した90分間となりました。講義終了のチャイムの後、小笠原先生を取り囲み、講義や映画の話で笑顔を見せる彼等彼女等が、三年後もその姿勢を失いませんようにと、老婆心ながら静かに願い、教室を後にしました。
母性愛のお話が授業の中で出ましたので、一冊の本をご紹介してブログの締めにしようかと思います。
千田由紀著『日本型近代家族――どこから来てどこへ行くのか』、勁草書房、2011年3月
母性愛は、人間に備わっているものなのか? 福岡大学図書館に所蔵されてますので、是非お手に取られて下さい。
小倉望未
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